東京地方裁判所 昭和62年(ワ)9572号 判決 1988年9月16日
原告
松本繁治
原告
松本栄治
右両名訴訟代理人弁護士
小野正廣
被告
株式会社日総研出版
右代表者代表取締役
小島次廣
右訴訟代理人弁護士
吉川基道
同
大竹秀達
同
藤田康幸
右輔佐人弁理士
後藤憲秋
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、別紙目録(一)(1)ないし(4)記載の標章(以下順次「被告標章(1)ないし(4)」といい、これらを総称して「被告標章」という。)を使用してはならない。
2 被告は、原告らに対し、九八〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
4 2について仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1(一) 原告らは、次の商標権(以下「本件商標権」といい、その登録商標を「本件商標」という。)を有する。
登録番号 第一一三六三四九号
出願 昭和四七年七月二九日
登録 昭和五〇年七月二五日
更新登録 昭和六一年七月一七日
商品の区分 第二六類
指定商品 印刷物(文房具類に属するものを除く。)、書画、彫刻、写真、これらの付属品
商標の構成 別紙目録(二)記載のとおり
(二) 被告は、昭和五八年五月二日以降、別紙目録(三)(1)ないし(4)記載の書籍(以下順次「被告書籍(1)ないし(4)」といい、これらを総称して「被告書籍」という。)に順次被告標章(1)ないし(4)を付し、同標章を付した被告書籍を販売している。
(三) 被告標章は、いずれも称呼において本件商標と同一であり、外観においても本件商標とほとんど同一である。また、被告書籍は、本件商標権の指定商品に属する。
(四) よって、原告らは、被告に対し、本件商標権に基づき、被告標章の使用の差止めを求める。
2(一) 被告は、故意又は過失により、本件商標権を侵害したものであって、原告らは、被告に対し、本件商標の使用に対し通常受けるべき金銭の額を自己が受けた損害の額としてその賠償を請求することができるところ、その額は、別紙(三)題号欄記載の被告書籍の同目録売上高欄記載の額にそれぞれ一〇パーセントを乗じて得られた同目録使用料相当欄記載の額であり、その合計額は九八〇万円である。
(二) よって、原告らは、被告に対し、本件商標権侵害による損害金九八〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する被告の認否及び主張
1(一) 請求の原因1(一)の事実は認める。
(二) 同1(二)については、被告書籍の題号の中に「POS」の文字が含まれていることは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同1(三)については、被告書籍の題号の中の「POS」という文字に関する限度で認め、その余の事実は否認する。
(四) 同2(一)の事実は否認する。
2 原告が問題としている「POS」は、被告書籍の題号の一部であるところ、その題号は、被告書籍の内容を表示するものであって、出版者や販売者等の商品の出所を表示する機能を持たないものである。すなわち、右題号中の「POS」とは、problem oriented system(問題志向システム)の略語であって、L. L. Weedが一九六八年に提唱し、アメリカ合衆国の意欲的な教育病院で実用化された診療記録の作成方式を意味するものである。従来の伝統的なシステムは、医療チームの各部門(医師、看護婦、他の部門)が別々の項目で様式を設け、個々に記載する方法であって、医療者側の必要性に基づく記録方式であったのに対し、「POS」は、医療チームの専門家が情報を共有し、同一の用紙に共同で記載する方法であって、患者の問題に焦点を当てた記録方式であるところ、わが国では一九七三年に導入され、現在では多くの病院で採用されている。そして、被告書籍のうち、被告書籍(1)(POS実践マニュアル―診療録の記載方法―)は、その題号のとおり「POS」によって診療録を記載する方法を内容とするものであり、被告書籍(2)(実践POSQ&A50)は、その題号のとおり「POS」を実践するに当たっての五〇の質問と回答を内容とするものであり、被告書籍(3)(PONRの理解 POSによる看護記録の実際)は、その題号のとおり「POS」による看護記録である「PONR」(problem oriented Nursing Record)の実際について記述したものであり、被告書籍(4)(POSの導入と実際7病院の導入経過(実施と再検討))は、その題号のとおり七つの病院が「POS」を導入した経過について記述したものにほかならない。このように、被告書籍の各題号は、いずれも書籍の内容を表示するものであることが明白である。また、右の意味での「POS」が題号に含まれている書籍は、被告書籍以外にも、医学書院、メヂカルフレンド社などから出版されている多数の単行本がある。更に、雑誌等の定期刊行物には、「POS」に関する論文、記事などが多数掲載されている。なお、「POS」は、point of salesの略語としても、販売時点管理の意味で社会一般に広く用いられており、その意味の「POS」を題号の一部とする書籍も、枚挙にいとまがないほどである。したがって、被告が被告書籍の題号に使用した「POS」は、自己の商品の内容を表示するものであって、自己の商品であることを示すという自他商品識別機能を有するものではなく、商標法二条一項にいう商標には当たらない。すなわち、商標法二条一項の規定は、形式的には、商品の自他商品識別機能については規定することなく、標章であって業として商品を生産する者がその商品について使用するものはすべて商標であるというような規定の仕方をしているが、この条項の中には、当然に自他商品識別の機能を有するものとしての商標の概念が前提とされ、かつ、含まれているものと解すべきである。なぜならば、第一に、そのように解することによって、商標法一条の「商標を保護することにより、商標の使用をする者の業務上の信用の維持を図り、もって産業の発達に寄与し、あわせて需要者の利益を保護する」という商標法の目的が達せられるし、第二に、単に記述的あるいは意匠的にしか使用されない標章の使用がすべて禁止されるという弊害を防止することができるからである。
仮に、商標法二条一項について前述のような解釈をすることができないとしても、商標は、自己の営業に係る商品を他人の営業に係る商品と識別するための標識として機能することにその本質があること、商標法一条、三条及び三七条の規定によれば、ある表示が自他商品識別機能を果たす態様で使用されていない場合には、その表示を使用する行為は商標権者の登録商標の右本来の機能を何ら妨げないものであることなどに照らすと、右行為には商標権の効力は及ばず、右行為は、商標権を侵害しないものというべきである。ところで、被告が被告書籍の題号の一部に「POS」を使用する行為は、被告書籍の内容を表示するにすぎないものであって、自他商品識別機能を有する態様で使用するものではないから、被告の右行為には原告の本件商標権の効力は及ばず、被告の右行為は、同権利を侵害するものではないのである。
三 被告の主張に対する原告らの反論
L. L. Weedは、その著書の中で、POMR(problem oriented medical records、問題志向型診療記録)システム、又はPOシステムについて記述しているが、「POS」については記述していない。したがって、被告が被告書籍の題号に使用している「POS」は、書籍の内容を表示するものではない。書籍の内容を表示するのであれば、POシステムとするべきである。また、「POS」が、問題志向型システムを意味することは、一般には知られていない。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求の原因1(一)の事実は、当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、被告標章(1)ないし(4)が、書籍の題号として、被告書籍(1)ないし(4)の表紙にそれぞれ表示されていることが認められる。
二ところで、商標法二条一項は、「この法律で「商標」とは、文字、図形若しくは記号若しくはこれらの結合又はこれらと色彩との結合(以下「標章」という。)であって、業として商品を生産し加工し証明し又は譲渡する者がその商品について使用するものをいう。」と定義し、また、同条三項は、「この法律で標章について「使用」とは、次に掲げる行為をいう。一商品又はその商品の包装に標章を付する行為 二商品又は商品の包装に標章を付したものを譲渡し引き渡し譲渡若しくは引き渡しのために展示し又は輸入する行為 三商品に関する広告、定価表又は取引書類に標章を付して展示し又は頒布する行為」と定義している。右定義によると「商標」とは、右にいう標章であって、商品について使用をするものをいい、また、標章について「使用」とは、一例を挙げると、商品に標章を付する行為をいうにとどまるのであって、商標は出所表示機能を有するものをいい、また、標章の使用は出所表示機能を有するものとして商品に標章を付する行為をいうものとはされていない。したがって、右定義に従うとすれば、被告標章は、被告書籍の表紙に題号として表示されているものであっても、標章であって、書籍という商品について使用をするものであるから、商標であり、また、その使用行為は、書籍という商品に標章を付するものであるから、商標としての使用であるといわざるをえない。しかしながら、商標法二五条本文は、「商標権者は、指定商品について登録商標の使用をする権利を専有する。」旨規定しているから、商標法三六条一項にいう商標権の侵害とは、右の登録商標の使用権の侵害を意味するものと解されるところ、他方、同法三条は、自己の業務に係る商品について使用をする商標については、(1)商品の普通名称、商品の産地、販売地、品質、原材料、効能、用途、数量、形状、価格又は生産、加工若しくは使用の方法、ありふれた氏名又は名称などを普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標、(2)慣用商標、(3)きわめて簡単でかつありふれた標章のみからなる商標、(4)その他需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標を除き、商標登録を受けることができる旨規定しており、右規定によれば、登録商標とは、このような要件に適合するものとして「商標登録を受けている商標」であって、(同法二条二項)、本来、何人かの業務に係る商品であることを認識することができる商標、すなわち、出所表示機能を有する商標であることは明らかであり、したがって、前記同法二五条本文にいう「登録商標の使用をする権利」とは、出所表示機能を有する商標の使用をする権利を意味するものであるから、出所表示機能を有しない商標の使用若しくは出所表示機能を有しない態様で表示されている商標の使用は、「登録商標の使用をする権利」には含まれないものと解するのが相当である。そうすると、このような商標の使用は、同法二五条本文に規定する登録商標の使用権を侵害するものということはできない。また、このように解すべきことは、商標法一条が、「この法律は、商標を保護することにより、商標を使用する者の業務上の信用の維持を図り、もって産業の発達に寄与し、あわせて需要者の利益を保護することを目的とする。」旨規定している趣旨にも合致するものである。次に、商標法三七条は、(1)指定商品についての登録商標に類似する商標の使用又は指定商品に類似する商品についての登録商標若しくはこれに類似する商標の使用、(2)指定商品又はこれに類似する商品であって、その商品又はその商品の包装に登録商標又はこれに類似する商標を付したものを譲渡又は引渡のために所持する行為、(3)指定商品又はこれに類似する商品について登録商標又はこれに類似する商標の使用をするために登録商標又はこれに類似する商標を表示する物を所持する行為、(4)指定商品又はこれに類似する商品については登録商標又はこれに類似する商標の使用をさせるために登録商標又はこれに類似する商標を表示する物を譲渡し引き渡し又は譲渡若しくは引渡のために所持する行為、(5)指定商品又はこれに類似する商品について登録商標又はこれに類似する商標の使用をし又は使用をさせるために登録商標又はこれに類似する商標を表示する物を製造し又は輸入する行為、(6)登録商標又はこれに類似する商標を表示する物を製造するためにのみ用いる物を業とし製造し譲渡し引き渡し又は輸入する行為は、商標権を侵害するものとみなす旨規定し、指定商品に類似する商品について登録商標の使用をする行為のみならず、指定商品又はこれに類似する商品について登録商標に類似する商標の使用をする行為についても、商標権者に禁止権を認め、更に、右のような商標の使用をする行為ではないが、その使用をし若しくは使用をさせる意思を持った一定の行為についても侵害とみなす旨定めているところ、前示のとおり、出所表示機能を有しない商標の使用若しくは出所表示機能を有しない態様での商標の使用は、登録商標の使用とはいえず、登録商標の使用権の侵害を構成しないのであるから、右の商標法三七条に規定する登録商標の使用についても全く同様に解すべきであり、また、同条に規定する登録商標に類似する商標の使用についても、これと異なる考えを採用すべき理由は見当たらず、したがって、出所表示機能を有しない標章の使用若しくは出所表示機能を有しない態様での商標の使用は、同法三七条が規定する登録商標又はこれに類似する商標の使用にも当たらず、商標権の侵害を構成しないものと解すべきである。これを本件についてみるに、<証拠>によれば、「POS」とは、「problem oriented system」(問題志向システム)、すなわち、L. L. Weedが、一九六八年に提唱し、アメリカ合衆国の意欲的な教育病院で実用化された問題志向型診療記録(POMR)を作成する方式で、わが国には日野原重明が紹介したものの略語であるところ、被告標章(1)の「POS実践マニュアル」は、右「POS」によって診療録を記載する方法が記述されている被告書籍(1)の題号として、被告標章(2)の「実践POSQ&A50」は、「POS」についての質問と回答を記述している被告書籍(2)の題号として、被告標章(3)の「PONRの理解 POSによる看護記録の実際」は、「POS」による看護記録の実際について記述している被告書籍(3)の題号として、被告標章(4)の「POSの導入と実際」は、「POS」導入の実際について記述されている被告書籍(4)の題号として、いずれも被告書籍の内容を示すために被告書籍の表紙に表示されているものであって、出版社である被告の商品であることを識別させるための商標として被告書籍に付されたものではないことが認められる。右認定の事実によると、被告標章は、いずれも単に書籍の内容を示す題号として被告書籍に表示されているものであって、出所表示機能を有しない態様で被告書籍に表示されているものというべきであるから、被告標章の使用は、前説示に照らし、本件商標権を侵害するものということはできない。
三以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条及び九三条一項本文の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官清永利亮 裁判官設楽隆一 裁判官富岡英次)